syuun の不思議な少年時代

2022年8月 3日 (水)

春~夏 小説Syuun の不思議な少年時代-その39-8 1967年(昭和42年)

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小説Syuun の不思議な少年時代-春~夏その39-8 1967年(昭和42年)

2019年版(前橋高校)学校案内を見ると実態はともかく、高校の授業でいかにもよく教えてくれるような雰囲気を醸し出している。

しかし、今では有名大学に進むには補習塾や現役高校生対象の予備校に、生徒が通うというのが定番だと子供の受験を鑑みて思う。

50年以上前では、大学受験用の勉強は高校では行わないと教師が公言する。

高校は4年間だと思ってくれれば良いと言うのである。

当時の教師は大方戦前の大学を出ているか、戦後直後に卒業している場合がほとんどであった。

昭和42年に東京教育大学を卒業して、最初に前橋高校に赴任した新任数学教師の桜井直紀先生などは例外であった。

*************

前橋高校1年次、48人×9クラスのうち何組だったかは正確に覚えていない。

古い瓦葺きの2階建木造校舎は8教室で、1クラスだけ中央の本部棟の1階だった。

小生のクラスは体育館に近い1階だったので4組くらいだったかもしれない。

担任は、英語の森永先生。

教室での着席位置は1年から3年まで名簿順で、2年からは目が悪いと言って席を替わってもらっている。

しかし、1年の時はまだ眼鏡をかけていないので名簿順であった。

着席は、

相川-浅見-阿部-荒井-新井-飯島・・・・

横は、岩崎と内山くらいしか覚えていない。

こんな具合でクラス全員の名前を覚えるのに1年位かかるとは言うものの、2年になったらほとんど忘れている。

従って、顔と名前が一致するのは後になれば自分の席のまわりだけという世界になってしまう。

その中で1年間でほとんど会話もしなかった名簿順1番の相川君をよく覚えている。

それは、自己紹介が突拍子もなかったからであった。

その自己紹介は「うちの姉はプレイガールで夜遅くしか帰ってこない・・・・」と言うことから始まる。

それで本人の自己紹介はよく分からなかったし覚えていない。

確かに女装させたら「可愛くなるかもしれない」と思ったことも確かである。


前の席は色白の阿部君、その時の身長は小生と余り変わらず今とは別人である。


後ろの席の新井君は、試験間近でもないのに休み時間に新聞広告の裏を使って必死に数学の勉強をしている。

(他人には不干渉なので、誰も気にしないが・・)

当時の前橋高校の(表面上の)風潮は、「受験勉強などはしない、高校生活は有意義に??」というもの。

それで理由を聞いてみると・・・
「今、窓から飛び出したくて仕方がないので・・・勉強をして気を紛らわせている。」
という。
・・・「ここは1階だろ」というと「それはそうだが・・・」と奇妙な会話に終始する。


南どなりが、夏休み過ぎの作文で現代国語の亀島先生に褒められた名文家の内山君(応援団) 。

そうして、夏休み以降の前高高高定期戦で話題になる人物は3列目以降の後の方の席でほとんど知らなかった。

こんなふうに学校の授業は遅遅として進まなかったものの、試験だけが先行していた。

そうこうしているうちに「文化祭」の話になった。

 

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2022年7月29日 (金)

1年初夏まで 小説Syuun の不思議な少年時代 その39-7 1967年(昭和42年)春頃~

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小説Syuun の不思議な少年時代 その39-7 1967年(昭和42年)春頃~

★前橋高校3年間のイベントが集中した1年初夏まで

今から思うと前橋高校一年次は、クラスメイト達のだまし合い、様子見の様相を呈していた。

その「だまし」に騙(だま)されたと・・・今でも苦い想い出として残っていると同クラスだった阿部裕幸先生が語っている。

前橋市のほぼ中心部を学区とする第一中学校、第三中学校からの生徒。

群馬大学附属中学校、前橋市のその他の中学からの生徒。

伊勢崎やら当時の佐波郡(現伊勢崎)というものの、ほぼ太田に近い場所から来る生徒。

前橋高校進学者が多く、優等生が多かった第一中学校出身者などとは違い、同級生に面と向かって「おまえは○○だ」とか罵倒するような生徒がいる。

そして、俺は「(頭が良いから)勉強しなくてもできるのだ・・・」と言う態度を示す生徒。

また、あえて間違った噂や先輩達の話をでっち上げて他の生徒を貶(おとし)めようとする生徒。

それに引っかかればそれこそ「おまえは○○だ」、劣等生呼ばわりする。

勉強ができ、学校の成績が良いから・・・・品行方正で優等生とは別物と大人世界をかいま見る風景。

しかし、事実として教科書などを1回読めば全て覚えるという「勉強しなくてもできる」という超人生徒も存在しうるものの当然静かなものである。

学年があがるごとにこういうことは少なくなるのではなく、都合の良い幾つかのグループを作ってその仲間達以外では会話をしなくなったりする。

今から思えばそれでも前橋高校1年の頃はまだまだ平穏無事であった。



それで1年では、書道、美術、音楽から芸術科目を選択ということがある。

高崎高校では、「書道」がないそうで高校の書道の教師には高高OBは見かけない。

ここで「書道」を選択しなかったのは以前に述べたように「ちょうどこの頃は書道(書写)に若干疲れたという時期」であった。

このとき書道を教えていたのは「田村由夫」先生で雅号を「翠淵」(かな作家)と知ったのは15年以上後のことである。

田村翠淵生誕100年・翠書道会60周年記念展を観覧する

http://syuun.way-nifty.com/blog/2013/04/60-f5ab.html
http://syuun.publog.jp/archives/5943595.html



また「美術」は東京藝大出身の武沢先生だったのだが、「抽象画」だから止めた方がよいという噂があった。

その一方で音楽は、「ギヤマン」が停年に近いから選択した方がよいという噂。


50年以上たった今でも同窓会誌に登場する「ギヤマン」という伝説の名物教師・福島栄三先生。

それでその「ギヤマン」に賭けることとした。

その時、英語塾で長年同席した小林T氏に音楽選択の理由を聞いたところ「レコードによる音楽鑑賞ができるから」との解答があった。

今では全くお目にかかることはない「コールユーブンゲン」とかの授業もあった。

実際はドイツ留学時代のエピソードや世界一と言われる声楽科のエピソードなど今では聞けない貴重な話しもあった。

音楽の授業・・・津久井君(1中出身)の美声に驚き、飯島君(伊勢崎)が絶対音感に近くピアノが弾けたのにも驚いた。

その他では、クラシック音楽のレコードを聴いて感想などを聞くなど。



そうとは言っても音楽選択は、美術や書道などある程度の技術を伴う分野に興味が持てなかったというより・・・・寝ながら楽に授業を受けたいという生徒ばかり。

事実上音楽など興味もないからレコード鑑賞ではみんな居眠り。

こういうやる気のない生徒ばかりが集まったのが音楽選択。

それでほとんどろくな授業が成立せず、やる気のない生徒に対して「ガマンできない」と毎回言う。

その「ガマンできない」を「ギャマンできない」と発言をくり返した。

この「ギヤマン」こと福島先生。

国立音楽大学の声楽科を出てドイツ留学していた経歴がある。

しかし、そのドイツ語を聞いたことはない。

そのドイツ語の逸話では、ドイツ人(音楽関係)に自慢のドイツ語で話したところ「訛りがある」と言われて驚いたという。

 

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2022年7月20日 (水)

去る者・消える者・小説Syuun の不思議な少年時代 その39-6 1967年(昭和42年)春頃~

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小説Syuun の不思議な少年時代 その39-6 1967年(昭和42年)春頃~

去る者・消える者

今のような補習塾や予備校がなかったこの時代、中学~大学までの先生が少人数の学習塾をしていた。

当時の自宅から歩いて5分のところで、前橋商業高校の英語教師・満島先生が英語塾をしていて小学校6年から通っていた。

小生のクラスは2人から始まり、中学1年頃になると10人(男6、女4)ぐらいに増えた。

それが中学3年の夏休み後になると14人(男7、女7)にもなった。

(実際は女子が増えすぎて9人くらいいたかもしれない。)

実を言えば中学3年の頃では、この塾ではほとんど役に立たないと思い始めていた。

なぜなら授業が順調に進みこれで新しいことが学べると思う頃に突然今までの授業を止めてしまう。

なぜなのかと聞くと、進みすぎると・・・・?

そしてやっている授業はどうでもよい何の役にも立たない内容。


それでも通っていたのは惰性と情報交換のためで、単にワイワイとやっていた。

だからこのクラスは「いつも騒がしい」と満島先生は言っていた。

そう言う調子だからこういう時間潰しの授業が嫌いなAM君、たまに進捗状況確認のために様子だけ見に来るという生徒もいた。

男子は既に前橋高校合格圏内に入っているから単に遊びに来ているだけで、中学3年の夏休み頃から入塾しても、高校受験には全く役に立たない。

まともな授業もしていない今頃どうするのかと思っていたものであった。


4月・最初の塾の日。

前橋高校、前橋女子高に合格した塾生の顔合わせである。

このときは例の幽霊塾生AM君も当然のように出席して、前橋商業に進学した1人を除いて6名はいつもの顔ぶれ、それに中央高校から1名で従来どおり7名。


それで女子はというと、前橋女子高の制服を着た新顔の1人を含めて2人しか来ていない。

どうしたのかと思っていると遅れて、5中と1中出身の女子が登場。

女子は4人になった・・・・前女には4人落ちた??

その英語の塾も5月の連休過ぎになると、懈(だる)い授業内容を見越してか幽霊塾生AM君は来なくなり、中央高校の生徒もいなくなった。


そしていつも遅れてくる2人の前女高生が授業が始まると、目がうつろになって焦点が合っていない。

テキストを見ている様子もなく、何も反応しなくなった。

今思えば高校生の「五月病」のようなものだったかもしれない。

それから直(す)ぐにその2人は来なくなり塾を辞めた。

これで女子が2人になった。



なにか何も進まないような前橋高校の授業だったが、突然来週に「遠足」があると言われた。

行くのは谷川岳の手前の山で、自由参加。

山登りはしたことがなくて、このときは不参加だった。



しかし、後から大反省して6月末の週末の「尾瀬登山」に参加した。

これは前橋高校の教師が企画して、全学年から募集した企画。

漏れ伝えられたことによると、昨年は余り集まらなかったという。

それが今回は多く参加者が集まって大型バス1台で行われた。

集合は午前3時前高正門集合。

遠足に行ったからと1年生はほとんど参加せず、クラスの中からでは数名だったと思う。

尾瀬からかなり下の大清水の駐車場で下りて、脇の細い林道を上って三平峠を越え尾瀬沼まで。

帰りは尾瀬ヶ原・竜宮十字路~富士見峠集合。

全員で隊列を組んで、校歌などを歌いながら富士見下まで降り、バスに乗って終わり。

このときは、歩いて家まで帰った。


***********
※その後20年ぐらい経って、「大清水の駐車場~三平峠を越え尾瀬沼」のコースを登ったことがある。

(帰りは鳩待峠のコース)

高校2年のときは、大清水の駐車場からすぐ人が1人通れるくらいの山道だった気がする。

別の脇道から登ったのかもしれない。

尾瀬沼が近くに見えそうな尾瀬が近くなるところの木道は今でも全く変わらないものの、大清水の駐車場周辺と途中まではかなり変わっている。



翌年からこの「尾瀬登山」は実施されていない。

しかし、大学に入ってから北アルプス登山で縦走を何回もするきっかけとなった。


 

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2022年7月13日 (水)

小説Syuun の不思議な少年時代 その39-5 1967年(昭和42年)春頃~「数学研究部」の時代

小説Syuun の不思議な少年時代 その39-5 1967年(昭和42年)春頃~

「数学研究部」の時代


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★部活・「書道部」ではなく「数学研究部」の時代

昔自宅があった前橋市役所当たりから前橋高校(天川校舎)まで約4Km(?)あった。

進む方向が両毛線(高架前)の線路を越えて東なので、女子高の生徒とは出会わない。

最短で12分という記録があるものの、前高に進む自転車の流れに乗って大方15分の道のり。

駅の先から続く斜め道路の突き当たり、細い農道の西に朝だけ開く駐輪場横の北門。

1年生は乗ってきていないものの50CCのスーパーカブが何台もあった。

(※斜め道路の農道・市街地だった部分を除き区画整理のため現在のケヤキ(旧ダイハツ)から先は残っていない。)

夏休み過ぎに「軽免許」を取る生徒がチラホラ出て「本検」とかいって早引きする生徒がいた。

昭和42年度中に「軽免許」を取得すると自動二輪免許が付いてきたので、それが目当てだったとは後で聞いた。

それで2年になると富士見村(現・前橋北部)あたりから、125CC(ホンダCB125)のバイクで通学する同級生もいた。

雨が降ると軽自動車で通学していた生徒もいたのは3年になって知った。




前橋高校というので前橋市からだけだと思うと、前橋市と伊勢崎市周辺の群馬県中央から東に広がる地域だった。

(現在は全県一区)

当時の隣接区域はほとんど前橋市と伊勢崎市に合併しているので、分かりにくいところが多い。

それなので前高生の約三分の一が電車通学で、当時の国鉄・両毛線で伊勢崎方面からやって来る。

前橋駅を右に出て南下し(第二校歌・右と左に分かれて泣き別れ)、当時あった養魚場の先から第二校歌にも登場する「斜め道路」という農道を行く。

(先述の通り現在一部しか存在せず)

これが冒頭の駐輪場横、北門近くの農道につづく。




帰りは正門しか開いていないので、木造のバラックのような建物・・文芸(文化)部の部室の横を過ぎて正門に向かう。

この文化部系の部室近くの屋根裏のようなところからピコピコとモールス信号の音がする。

「アマチュア無線部でもあるの?」と聴けば、2級の免許を取ったので個人的に練習をしているという。

5月頃になると、アンテナが撤去されていたから一時的なものかもしれなかった。

文化部の部室の一番奥では、4月上旬に紺の制服が出入りする様子がチラチラと見える。

何かと思ったらESSの看板。

偶然出会ってしまったら、眼鏡をかけた強そうな女子学生。

それほど前女の生徒が出入りするのかと思ったら、ESSの行事に関して2年生が連絡に来ていたらしい。

その後は白襟に赤線のセーラー服を着た(何となくナヨナヨした)女子生徒が入り浸っていたような。

しかし、5月を過ぎると前高生は忙しくなって誰も部室にはいなかった。



中学時代の部活動は短期間で止めてしまったので、高校では文化部でと「数学研究部」に入部した。

書道は、書写として小学校から塾へ通っていて、芸術選択でも「書道」は選ばなかった。

そして、今(令和4年)のように毎日書道展審査会員までなったりして、「書道」から一生抜けられないようになるとは思わなかった。

ちょうどこの頃は「書道」に若干疲れたという時期であった。


「数学研究部」の狭い部室。

先に入部していたのが同じ1中からきた浜野君。

ほかには元同級生の後藤君がいるとの話だが、余り逢ったことはない。

入部書類を書いて部室の連絡箱にいれたものの、部室にはいつも浜野君ぐらいしかいない。

それでちょうどいた背が高い三年生(部長)に「数学研究部」とは何をするのと聞いてみても、言っていることが分からない。


5月の連休前にして、部室にゆくと今度の日曜日に「数学研究部の発表交流会」をするから前橋駅に7時半集合という。

「数学研究部」の活動内容が分かるから「1年生は全員参加」と部長が言う。


日曜日の朝早く駅前の初めて利用する「自転車一時預かり」という商店に自転車を預け駅へ。

日曜日は預からないという店も、前橋高校の制服を着ていると普通に預かってくれた。

(夕方5時頃までと・・・)


前橋駅に着くと3年生2人、2年生1人、1年生3の総勢6名。

どこへ行くのか分からないままで聞くと富岡へゆくという。

高崎駅の0番線から上信電鉄に乗り富岡へ、「上州富岡」駅。

そして行くのは群馬県立富岡東高等学校(富岡東高)

(当時・女子高・2018年に群馬県立富岡高等学校(共学化)と統合し閉校)。

駅には多少人はいたものの国道254もほとんど人がいない。

富岡東高が近くなると歩いている人も車も全くいない。



富岡東高の正面玄関に付くと、待っていたと思われる紺の制服を着た女子生徒が1人いて、許可を取ってくるとかで多少待たされた。

それから空き教室に案内されて手持ち無沙汰にただ立っていると・・・





富岡東高の数学研究部の生徒に「何をするのですか」と聞かれた。

「1年生なのでついてきただけなので・・」というしかない。

2年生に聴くとほら(3年生が)説明するよという。

参加者の他高校はいない。

高高・不参加、高女はナシ、前女は維持の1人なので他の参加者はナシ。

富岡東高の数学研究部は4人。



このとき高崎地域・学区の高校生の制服は全く知らなかった。

高崎女子高の制服や校章を初めて見たのは、高校2年のときにあった前橋女子高の文化祭の時だった。

高崎女子高の校章(バッチ)は赤地の大きなもので、OGの女房殿に言わせると「100mバッチ」と呼び嫌だったそうな。

そして、今富岡東高の制服を調べて見たら高崎女子高とほとんどそっくりで、ボタンが高女の4個に対して富岡東高は3個だつた。

富岡東高の校章は小さくて気がつかなかった。

なるほど「100mバッチ・・・100m先からで認識できる。」は理由があったようだ。



それで(背が高くイケメンの)3年生(前高・部長)が「数学研究部への要望や意見など」の紙を配布してあるはずだが・・・」
そう言うもののほとんど沈黙。

富岡東高の2年生らしい生徒が「何もありません。」というようなことを言ったような。


それで部長が何やら黒板に数式を書き出す。

黒板いっぱいに数式が並んだところで図形を描き出す。

曲線(curve)だとか代数曲線?・・・・そんなふうなもの。

こんなのを書いても数IIIを習っていないからほとんどみんな「ドン引き」状態。



それで午前中は終わり、昼になったので校外へ出るも何もない。

それで国道254、駅の近くに雑貨屋があったのを思い出してそこで菓子パンを買って何とか昼とした。

午後は富岡東高の番ということだったが「何もなし」。

何だか無駄に時間を潰して

部長や2年生が富岡東高の生徒に数学研究部に入部した理由を聞くと・・・

「学校の数学の勉強の足しになれば」というようなことを聞こえないような小声で言っていたような・・・



今から思えば「数学」を教えてもらいたかったのかもしれない。

しかし、1年生だったから言えなかった。

どうも上級生は数学の崇高な理想を持っていたのかもしれない。


しかし、大学で一般数学を学びその後、数学の教員免許取得のために数学を勉強してみて数学研究部では結構浅い知識だったと思う。

実のところ数学研究部は、高校数学と一般数学の橋渡しのような勉強をするのかと思ったらそうではなかった。

そう言う「高校数学」を一般数学を使って解くというのは高校を卒業した後、浪人してから身についた。

この後5月頃になって1中出身のM君が部室にいて、遊びに来たのかと思ったら数学研究部に入部していた。

数学に関しては4月の富岡へ行った浜野君、後藤君、そして小生がその後に「数学教諭」の免許を取得した。

M君はどうなったのかは全く不明。

またこのときの3年生の部長など2名は、京都大学理学部数学科へ進学したという噂だった。

何となく後味の悪いというか「数学研究部」の未来が見えない感じで4時近くになって解散。

列車の接続の都合から前橋駅に着いたのは夕方6時頃だった。

お店のカーテンが閉まったガラス戸を開けて、自転車を取り戻したのはかなり冷や汗だった。


 

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2022年7月 9日 (土)

小説Syuun の不思議な少年時代 その39-4 1967年(昭和42年)春頃~

小説Syuun の不思議な少年時代 その39-4 1967年(昭和42年)春頃~


前橋高校は男子校である。

兄(克彦)もかよった高校であるので、何の疑問もなく進学しているものの、映画で見る女子生徒もいてというような華やかな学生生活というものはない。

戦後のベビーブーム世代(団塊世代)直下、3年生は昭和24年生まれで団塊世代である。

前橋地区で大学に進学できる県立の普通高校は、前橋高校しかなく前橋高校に合格できなければ浪人して再挑戦するか受皿のある私立高校に進学する。

そして、放課後3時半くらいになると前高の職員室には誰もいない。

4月以降に遅く残っていると「早く帰れ、大学に行けなくなるぞ」と教師に脅される。


その前橋高校で最初に感じたことは「言葉が違う」と言うことであった。

上級生はもちろん、新しくクラスメイトになった生徒も「中学生だとしたら」恥ずかしいような「大人が話すような言葉遣い」をする。

群大附属中から進学してきた生徒は、特に丁寧な言葉遣いをしていたものの外はそうでもない。

しかし、あっという間に「子供時代の言葉使いは消えて」前高言葉に慣れる。


国立大学の授業料は当時年間12,000円(半期払い6,000円)、入学金3,500円で今で言えば、家庭教師の1か月のバイト代で授業料が払えた。

その一方私立大学の学費は、昭和45年頃大方約200,000円(理科大は175,000円位)それに加えて、寄附金と学債(共に学費の数倍以上らしい。) が必要だった。

ただし、薬大は寄附金が1,000,000円(現在だと4~500万円くらい)だったらしいが、学費は文系と変わらなかった。

(現在の私立薬大の学費は200万位なのでほぼ同額。)

そして、医学部は裏口入学が横行していたし、日大は「紹介入学制度」という裏口入学が制度化されていた。
(紹介入学制度は、昭和44年度入試まで・・ただしその後数年は続いたという報道があった。)

男子学生の大学進学率(25%・昭和45年短大含)時代で、団塊世代以前では私立大学は定員割れ。



そう言う中で古い中学時代の学生服の襟章には、多少すり切れた兄の襟章を使った。

古い襟章は、「高」の文字がすり切れて多少太かったが全体としては変わらない。

この頃は「制帽」というものもあった。

今の応援団の格好を見ると「制帽」を被っていない。

残っていたら寄附したいと思うものの大学に行っている間に綺麗に捨てられてしまった。

高崎高校では、制帽を少し復刻させたという記事が数年前にあった。

高高は、白線2本が帽子に取り巻いているので難しかったらしい。

(高高の校旗にその名残がある。)

しかし、前橋では帽子屋もなくなっているので無理だろう。

 

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2022年7月 6日 (水)

小説Syuun の不思議な少年時代 その39-2 1967年(昭和42年)春頃~

小説Syuun の不思議な少年時代 その39-2 1967年(昭和42年)春頃~




前橋高校に入学して直ぐに、1年生全員を体育館に集めての全体ガイダンスがある。

このガイダンスは、前高生としての規則や施設の使用法その他の説明である。

このとき生徒は約430人余りもいるのに誰も口をきかず、静まりかえった中で説明の教師は「静かなのは今日だけだ」のようなことを言った。

このガイダンスが終わったと思ったら、太鼓を持ってドダドタと応援団が壇上に上がってきた。

「今から校歌の練習をする。」と述べ、団長が校歌を歌い始める。

それから延々と2週間程度毎日練習が始まるのである。

「校歌」の次は「応援歌」「凱旋歌」と続き、非公認の「第二校歌」(数え歌)は教えない。

これは毎年の行事で、怖い顔で威嚇しながら強制的に行わせる。

教師も皆OBなので、分かりきったものである。


通常の授業が始まる頃になると、昼休みに1年生の全教室に応援団が来て体育館に追い上げる。

これに対して「昼食が食べられない」という苦情には、「昼食は3時限が終わった休み時間に食べることになっている。」

休み時間は有効に使え」という。

そして、「そもそも君ら1年生より我々の方が忙しいんだ」とか・・・・


この高校1年の年の行事が春は「前高祭」(現「蛟竜祭」)、秋には「前高・高高定期戦」があった。

いずれにせよ夏休みを迎えるまでは平穏無事であった。


★★1967年7月31日から始まったTBS深夜放送24:30~金曜日(木曜深夜)「パックインミュージック」事件。
(8月3日放送分~31日頃まで)

(DJ・野沢那智・白石冬美)・・・ナチチャコ

**********************************

前橋高校の授業開始の当初に「数学と英語」の実力試験があった。

今の高校では1年生用の市販の模試があって、全国偏差値が出たりする。

このとき数学は100点だったが、クラスの半数がそうだったからどうということはない。




それで高校の授業はというと「はっきり言って全く進まない」。

中間試験が近くなると「試験範囲はここまで」と教わっていない教科書のかなり先のページを示す。

後は自分で勉強して下さい」これが先生の言い草である。

実のところ高校生活3年間全く同じで、「前高生の自主性に任せる」、「自己責任」とは、勉強もそうであった。

その後の3年間を通じて学年の「全体集会」などがあり、生徒が「もう少し大学受験に則した授業をして欲しい」というような要望が出たことがある。

ところが学年主任のT先生(美術教師)は、「高校は大学受験の予備校ではない」と言い切る。

全くの無視。

それでいて国立大学合格者の実績は「教師の手柄」というのである。

その教師の実態を3年間見れば、中には授業時間中教科書を1回も開かず延々と雑談をして終わったということもあった。
特にこれは「理系科目」に多い。

文系科目でも「教科書は必要なので取りあえず買わせただけ」といい、大学で少し研究していたらしいほとんど意味の無い雑談で終わったこともあった。

(英語の教師以外)

そしてまたしても言うのは「大学受験に必要であれば自分で勉強して下さい」だった。



 

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2022年7月 2日 (土)

小説Syuun の不思議な少年時代 その39 (昭和45年1970)

Syuun19707020696

小説Syuun の不思議な少年時代 その39 (昭和45年1970)

★前橋市立第一中学校卒業から前橋高校1年~

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小説Syuun の不思議な少年時代 その36 (昭和47年1972)

静岡大学2年、合コン、開学祭(旧制静岡高校6月1日・静岡のみ)など女子がほとんど出てこない当時の静岡の「花の時」を少し書いた。
当時の工学部の女子は同期1名、上の学年はナシ、一期下は3人だった。

Syuun の不思議な少年時代 その37 (昭和47年1972)

静岡大学2年開学祭(旧制静岡高校6月1日・静岡キャンパスのみ)

小説Syuun の不思議な少年時代 その38 (昭和47年1972)

1972年6月1日開学祭・模擬店の続き
トピック・1年前の1971年4月末。
学生アパートの友人がお目当ての彼女を見つけて、誘うシーン。

★2015年記載とはいえ、よく覚えていたものである。
今では全く忘れている。



小説Syuun の不思議な少年時代 その39-1 1967年(昭和42年)春頃~

***************************************

前回まで女子が出てくる話がなかったので、何となくかき集めて1971~1972年まで書いたらしい。

静岡大学工学部教養課程(1・2年)は、今では浜松キャンパスに統合されたので、工学部の学生が静岡キャンパスで学ぶことはない。

当時の工学部・学部生、院生を含めて女子は1~2人の時代、その上必死になって勉強しないと留年が待っているような学部と違い「夢のような静岡時代」だった訳である。

そうとは言っても3年に進級するのは定員40人のうち30人前後だったから、4年で卒業研究に入れない学生は少なかった。

こう書いてみると、大学1年、2年の頃の補完も必要だろうと思う。

そこで中学校卒業から高校、大学へ進んだ激動の時代を少し補完することにした。

そうというのもどこかで何か書いているかもしれないからである。

***************************************

1967年(昭和42年)3月中旬、群馬県立前橋高等学校(偏差値72)に合格した。

当時は、前橋高校、前橋女子高も入学試験問題「全問正解」の受験者のみ合格した。

前橋市立第一中学校からは前高現役合格69人(過去最高・過年度を含み70人)。

次点は、群馬大学教育学部附属中学校の63人合格。

この69人合格というのは、今後絶対に破られることはない。

(前橋・他中学合格者部分概算・伝聞 前橋4中(2中、4中は今は統合されて みずき中)_2人。5中_5人。6中_0。7中_2-3人 。元総社中_1人)


なぜなら今の前橋市立第一中学校からは、前橋高校、前橋女子高共に10人弱程度の合格者数である。

又、生徒数では、2021年統計で全校生徒約448人(1学年140人程度4クラス)。

昭和42年の1学年11クラス(2年以降12クラス)は約528人程度と大きな開きがある。

3年7組では、前橋高校に5人受験して5人合格(A・H・H・K・K)、前橋女子高は6人受験して4人合格(A・I・K・Y)。

不合格だった女子生徒の話によると一人は1問間違え、もう一人は数問間違えたという。

その合格者の中で「みんな出来ちゃった」と浮かれ回っていた生徒(A)もいた。

中学の卒業式の後、1日空けて公立高校の合格発表なのは50年以上経った今でも余り変わらない。

この合格発表後に女子生徒は「制服」の注文に奔走し、合格発表から数日以内に高校の体育館で教科書、参考書、体育着・運動靴、高校のバッチ、学生服のボタンその他が売られる。

その浮かれた雰囲気の中で渡されるのが入学するまでの課題集である。

英語の長文の読解やら何やらがあった。

その時に数学の薄い問題集も買ってきたように思う。

英語の教科書を開いてみれば、1ページ目から全く読めない。

今英語の辞書を見れば、当時は今主流の「米語」ではなく「イギリス英語」だった。

これに気がついたのは「ハリー・ポッターと死の秘宝」(Harry Potter and the Deathly Hallows)の原書の英国版を読んだときであった。(詳細は別途)

その時になってあわてて、数学の塾を探したもののどこもいっぱいでみつからなかった。

この高校1年の時取りあえず暇つぶしに参加したのが日曜日の朝6時30分から約2時間の「数学教室」。

(どこかで書いたことがある。)

これは兄(克彦)の時代から前橋中央駅の側、城東町の裁縫学校などを借りて行われていた。

1964年の東京オリンピック頃から既製服が出始めていたので、自分で婦人服を作る「裁縫学校」は流行らなくなった。

それで高校1年の時の夏ぐらいになったら学校を閉鎖するという話が持ち上がっていたと思う。

それでも暫く貸してくれるというので使っていた。(遠山先生言)


その数学教室は、群馬大学(工学部・桐生)の数学の(助)教授、遠山哲夫先生が開催していた。

授業の内容は、前日の豆テストの簡単な説明(受験用なので1年では理解できない)。

その後、豆テストをして採点後、又何やら解説らしきものをして終了。

試験の内容は、国立大学の入試問題からの抜粋。

この時期は、大学受験問題集は全て国立大学の試験に準拠して高校の授業もそれにならった。

従って、私立大学に進学する生徒は「自分で勉強して下さい」と教師から言われていたものである。

大学といえば、国立大学を示していたのは全ての受験問題集が国立大学で出題された問題だったことからも分かる。


 

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2019年2月21日 (木)

フレッツ光メンバーズクラブで、<プラチナ>美巧 近代蒔絵万年筆を貰う

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今月号の写真誌は、Canon、OLYMPUS、LUMIXの高級デジタルミラーレスカメラとSONYα6400,FUJIFILMのX-T30という普及版カメラの紹介で目白押しだった。

フルサイズのLUMIXはデカイ、重いと写真家の落合氏が述べているようにミラーレスカメラとも思えない高級機。

昨年末頃に買ったカメラ2台で1か月半で約1,500枚強くらい撮影したが、小生の撮り方では不都合というシーンはなかった。

新製品が出ると何となく心が動くとはいうものの現状で撮れていれば問題はない。

強いて言えば、今や古くなってエントリー機と化したSONYα6000を更新したいと言うくらいか。

しかし、これも現状不都合と言うことではないから多分先の話。

*************************
フレッツ光メンバーズクラブからメールが来て、3月末で10,000ポイント程度失効するという。

10,000ポイントと言えば10,000円に相当するから早速何かに交換しなければならない。

それでいっそのこと失効期間を伸ばすためになるべく使ってしまおうと思ったものの事実上使えるのはカタロクギフトである。

いつもこのカタログギフトというのは品物の選択に悩むところで、家電や食器などは定価で掲載されているので結構割高感が強い。

それでほぼ定価でしか売られていないで、絶対に自分では金を出して買わないものとして「美巧 近代蒔絵万年筆・プラチナ製(鳳凰)」と交換することにした。

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ネットで見ると12,000円+消費税なので13,000円弱。

カタログギフトだと消費税分だけは安くなる計算である。

もともとタダで貰えるものだから文句はなし。

それで1週間ほどで届いたのだが、発送とかのメールは来なかった。

蒔絵万年筆としては、裾になるので拍子抜けするくらいなにか簡素。

万年筆用コンバーターはついていないのかなと確認したら、別売だった。

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このコンバーターは消耗品で高価でもないので、Amazonで注文した。

取り付けてみれば、元々ついていないのが不思議なくらいマッチした。


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しかし、インクが古いものしかなく書き味は次回。


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*****************************

今から約55年前の小学校の4年生頃。

小学校の南の通りの先の住宅街に同級生が住んでいた。

放課後に帰るというので、今のような集団登下校ではないから勝手に友達と後をついていった。
入り口の突っ込み道路まで来ると、「ここだからもう帰れ」と追い返された。

その先にあったのは、古くあまり高級とは言えない木造平屋の家。
「どうせ直ぐに引っ越すから」意味はないだろうという話でもある。

それで次に見た時には、空き家になっていて貸家だったかと子どもながら思った。

その古い貸家に高校の数学の先生が引っ越してきたらしい。

3月末になってその「おんなの人」が来た。

妊娠の話は、薄着になったこのときに出たのかもしれないが記憶というものはそんなものである。

4月から週1回土曜日午後2時からと言うことだが、何時間するのかと言うことは決まっていない。

大体、先生が切りのよいところで「ここまで」というと終わりである。

その高校の先生と言えば直ぐ近くの県立高校ではなく、私立女子高の先生だと言うことで何となく漠然とした不安はよぎる。



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4月となれば3月の空っ風は止んで天気がよい。

こんな良い日に塾かという落胆とともに、初めて土曜日にその借家を訪ねた。

今なら母親が付いてくる感じはあるものの、勝手に行ってこいと言うのがこの頃の風潮である。

ものごとの入り口の少しは関与しても、あとは何でも自己責任というていのよい自由放任と言うのだろう。

塾に行くのも自由、当然止めるのも自由。

そろばん塾や書道塾は合ったものの、学習塾そのものができ始めた頃で今のような補習予備校というものはない。

はっきり言って塾に行くゆかないで、学校の成績が上がるということもほぼ皆無に近い。

あくまで自分で勉強するかしないかであった。

そして学校の成績が悪いのは本人の責任という適当なもの。

戦前の教育を受けた両親というのは今の水準で行けば余り教育熱心とは言えない。

常に行く道は示すものの行くかゆかないかは本人の自己責任というもの。

戦前は高等教育を受けなかったり、楽々大学に行ける実力を持ちながら旧制中学しか卒業しなかったという例は枚挙にいとまがない。

父のように旧制高校を経て大学に進学すると言うのは例外中の例外であった。

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2015年5月24日 (日)

小説Syuun の不思議な少年時代 その38 (昭和47年1972)

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1972年6月1日開学祭・模擬店・
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5月の連休明けは、真夏の様な日々が続いた。
特に静岡市は周囲を山に囲まれているため余り風が吹かない。そんなわけで真夏では午後からのわずかな海風で凌(しの)ぐ。
しかし、梅雨が近くなり開学祭の6月1日の天気はどうなるか、天気が持つのかはその年によって当然違う。
その6月1日の朝は、それなりの晴天であった。
朝、アパートで回し読みする新聞が回ってこなかったので、天気予報は分からない。
2年で引っ越しをする予定だから、かさばるテレビは持っていなかったし、どうせNHKとSBS(静岡放送)、テレビ静岡(UHS)の2社しかなかった。
1972年の段階では、やっとテンキー電卓が出始めたころであった。但し今、100円ショップで売っている電卓より性能が悪くても、二万円近くした。

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車の調達
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中古車を買う予定を早めて、自動車販売店のシステム部に勤めていた自動車部のOBに電話して、
「中古車を買いたいから試乗させてくれ」
と頼んだ。
「今 これしかないから」とやむなく日産ブルーバード(二代目411型系)を借りてきた。

以前にも自動車部の先輩が数日借り出したことがある車体で、どうもシンクロ(ミッション)に問題がありそうな曰くつきのものではあった。

6月1日、片山寮午後1時。
コラムシフトのブルーバード1300は、大学本部棟の急登での山登りでは多少非力。
そこは何とか乗り切って、運搬とメッセンジャー係という役目になった。

山の上の片山寮と大学の外、すなわち日本平の山から下りて大学の外に広がる学生アパート群までの往復はかなりの標高差と距離とがある。
そもそも片山寮から大学の入り口という東名高速道路をくぐるトンネルまで1キロはある。

しかも模擬店をするサッカー場は、その中間地点の山の中腹。
これは、とても歩いて往復すると言うわけには行かない。

大学の坂下の学生アパート高山荘では、共同炊事場で女子学生二人と加藤が何やらやっていた。

「もう、あとはできあがるのを見ているだけだから~」

「浜田くんと加藤くんを模擬店まで送っていって!!」という。

午後3時過ぎたころ、片山寮、高山荘その他のアパートを回って材料をとりまとめて模擬店に運ぶ。
これでやっと始まるかなという頃には、何やら雨が落ちてきた。

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「開学祭」・6月1日、サッカーグラウンド午後6時。
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時間になると人がどこからともなく湧いてきて、模擬店にも多少人垣ができた。

「夕食は?」
「まだ」
「じゃこれで」
と夕食の「焼きそば」が回ってくる。
何やら多少冷えた焼きそばをパクついていると・・

「『焼きそば』がなくなってしまうから、早く食べてね」と・・・声が聞こえる

模擬店を始めたのだが、ぽちぽちしか客が来ない。

それでも、例の「焼きそば」は、もともと大して売るほどではないので終了。

夜も更けてきて、人が多くなってきた。
「豚汁終了!」
「豚汁なんかあったの?」

「少し作っただけ」という。

夜が深くなるにつれて、雨も少し強くなり、急速に気温が下がってきた。
「おでん あと少しで終了」
と担当の佐藤嬢が叫んだ。

「おでん あと少しですよ!!!」と誰かが絶叫する。
と人だかりができて、

「おでん 終了」
「あ! これで赤字でなくなったね」

まだ
「焼き芋が売れ残っているぞ」
「ちょっと宣伝してこい!!」と誰かが言うと・・

「焼き芋あります」

「焼き芋あります」
とのかけ声。
とまだ人だかりが少しできて、と見れば
気温は、ますます下がって白い息が見えるようになる。

「焼き芋あります」

「ちょっと待って!!」
「焼き芋が売り切れそう!!」と担当の佐伯嬢。

・・・・・・・・・・・・・・・・
「焼き芋が売り切れた!」
「追加の芋を持ってきて!」

「今までの芋は、元々蒸(ふ)かしてあったから温めるだけで良かったけど」
「こんどのものは時間が掛かりそう」
「でも、これで黒字になった。」
「何とか反省会の飲み代が出せそうだわね!!」
と佐伯嬢。

「焼き芋ある??」

「焼き芋はまだ焼けてないのですけど・・・」
と断る。

「焼き芋があると聞いたんだけど」
とジーンズ姿の背が高い学生。

「まだ焼けてないのですけど・・・」

「焼けてなくともいい、寒いから カイロ代わりにするだけだから」
という声がした。

・・・・・・・・・
裸電球にてらされた、背の高い男は誰かと思ったら理学部2年の伊藤だった。
しかし、少しも見ないうちに随分と雰囲気が変わったものだと思う。

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1年前の1971年4月末。
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大学に入学して、キャンパスから1キロ近く離れた学生アパートに入居した。
学生アパートは、70年に大学が移転した時に農家の広い庭先に乱立するようにできたものである。
作りは、外壁がトタン、内側にベニヤ板を張ったもので、今で言えば納屋のような作りである。
それに付属して共同炊事場、共同トイレ、風呂と言うのが一般的だった。

海から近く、潮のにおいがする海沿いの学生アパート。
山育ちとしては、地震や台風が来たらという不安もよぎる。

それでも大学から遠い内山荘に入居したのは、食事2食が当面出たからである。
この内山荘には9部屋あり理学部3人、工学部4人、教育学部2人でその内5人が1年生だった。
そのアパートの先着住民、2階の一番良い部屋の新入生が横浜翠嵐出身の理学部物理学科の伊藤紀行の部屋だった。

この伊藤の部屋に結構みんなが集まったのは、唯一テレビがあったからでもある。
但し男ばかりで色気がないところで、見るのは精々「11PM(イレブンPM)」というお色気番組ぐらいであった。

その他の新入生は、徳島から来た理学部数学科の桑内、茨城からの工学部情報工学科(J科)の茂木、奈良からの電子工学科(D科)、宮地というメンバーである。

国立二期校というのは理学部、人文学部は京大失敗組が多いが、伊藤は元々医学部志望であった。
一方、工学部は阪大(大阪大学)失敗組が多く、当然、茂木、宮地も阪大組で浪人するのが嫌で、何となく静大に進学してしまったという連中でもあった。

駅弁大学の一期校を蹴って入学した京都洛北高校の浜田(C科)のような人物もいたが、大方この教養部時代というのは、何となく退廃感が漂う雰囲気でもあった。

こんなことで学科をS科としか言えなかった一番ダメ組だったのが、自分だった。

しかし、日本史で静大工学部を受験すると数学以外全問正解を基本とするのに、できない問題があるので絶対に受からないというところで、合格したのだからよしとするべきだろう。
あとで分かったことは、日本史選択で合格した人数は全体の10%に満たず、J科、D科で日本史を選択した受験生はいなかったということだ。

---------------------------------------------------

4月の最後のガイダンスが迫った日曜日の夕刻

「ちょっと ちょっと」と伊藤に深刻そうな顔で呼ばれた。

「ちょっと 占ってもらいたいんだけど・・・」

「なにを占うの」
と疑問をもって二階の階段の奥の部屋に向かったところ

「かわいい娘(こ)を見つけたんだ」という。

「かわいい娘ってだれよ??」
「工学部には一人しかいないし・・・・」

「教育学部はガイダンスも講義場所のちがうしな」
「C棟だったっけ」

テレビを見ていた理学部の桑内に
「理学部に目立った娘はいるか」ときくと
「うんにゃ!!」
「平常運転だよ」
桑内は阿波弁だというが、よく分からない言いぐちである。

「どこなんだい伊藤」
「みんな知らないというぜ!」

「人文学部だ」と伊藤

「え~~人文学部?」

「そんなとこに女の子いたっけ」と突然入ってきた宮地が分かりづらい奈良弁でいう。

「人文学部のガイダンスは教育と同じ日程のはずなんだが」

すると人ごとのように伊藤はすらすらと言う。
「人文学部の人文学科だ」

「人文学科の女の子は全部で3人だけなんだせ」
~と知ったかぶりの茂木。
「いや 書道部に人文がいるんでね~」
「情報元は、」とにやりと言う。

「ミス人文の宇津見か!」

「いや違う」と伊藤。

「名前はわかるんか?」
「名前がわかんねぇと占いようがないぜ!」と俺。

「名前はわかる」
「岸山まりえ~」

「岸山?」
「聞いたことないなぁ」
「ノーマークだな」と茂木。


「きしやま まりえ」
「いとう のりゆき」
と紙に書いて占いだす・・・・

「こういう恋愛感情を占うというのは簡単なんだ」

「このこは自宅通学か?」と聞くと、
「多分そうだろうと思う」と伊藤。

「あんな可愛いこ」
「まだ 誰も手を付けないうちに先鞭をつけないと」
と伊藤は急に深刻なおも持ち

「明日の最後のガイダンスがチャンスだから告白してみたいんだ」

***********(占い)*******************

「まあ お互いに『一目惚れ運』かな」

「告白してもきっと うまく行くと思うよ」

---------------------------------
「で 俺は?」と自分の名前を書き入れて

「ダメだな 無視されているわ」
「桑内は・・・」
「無理だな」
「宮地、茂木も問題外!」

「安心しろよ、ここにいる皆は関係ねぇや!」

「俺たち『みとって』やるからな」と桑内。

「まりえ・・ちゃんとの関係はなぁ」
「長く続くかどうかは、生年月日を調べてもっと詳しく占わないと分かんねぇけどな」と俺

「いや それでいい」と伊藤。

「安心してやってこいや!」とだめ押しで言う。

---------------------------------

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1971年4月末のある月曜日。
---------------------------------------------------

どんより曇った日で雨が降りそうである。

今日は多少早めに登校して、その「岸山まりえ」が現れるのをみんなで待つことにした。
伊藤は、教養部B棟の少し高い位置から広場の入り口を見渡して、教養棟に登ってくる学生を監視。

「見ていてやるけど、俺たち 顔わかんねぇんだからな」と桑内。

「分かってる」という顔の伊藤。

「『静大行き(のバス)』だと本部棟だから上の道から来るぜ」と俺。

「下から来るのは確認してんだ」
「一応、上の道も見ておく」と伊藤。

朝も8時30分になると教養部A棟とB棟の間にある掲示板の前の広場は、人だかりで一杯である。
それは、今日の各学部のガイダンスの日程が掲示板に張り出されているからでもあり、殺風景な教室に入るのが嫌だからでもある。
「岸山まりえ」らしい女子学生はいるかと見渡すも、男の中に多少それらしき形は見えない。
すると伊藤が広場の端から離れてこちらにやってくる。

「きた」という顔だ。

伊藤に
「彼女きたか?」
と聞くと、
「いま道を昇ってきたところだから」
「そこにいるよ」

「どこにいる」
と見回しても相変わらず無彩色の世界が広がるだけ。
まして、女の子らしい華やかな色合いの服などない。

「(広場の)入り口のところだ」
「いま誰かと話している、後ろを向いている・・・」と伊藤。

と見ると確かに女子学生らしき人影が2-3人みえる。
しかし、顔はなかなか見えない。

「あの小顔の、髪の毛の長い娘(こ)か??」と近くにいた桑内がめざとく聞くと

そうだと伊藤は、頷く
よく見れば、灰色のニット系の地味なワンピースに同色のピンストライプの上着を羽織っている。
身長は、160センチを少し切るぐらいか、静岡なら平均的なものだ。
しかし、横を向いていて顔は判別できない。

「良く顔を見たか」と桑内に聞くと

「みたよ」という表情。

さっぱり判別ができないうちに、何となくミス自動車部(SUAC)の北原裕子を思い浮かべた。
北原裕子は、一年生なのに「バッチリメイク」だった。

ガイダンスの時間が迫り・・・

「今やるか」とせっつくと

「完全に一人になったら」と伊藤が押さえる。

伊藤の回りに遠巻きに、遠藤先輩、桑内、宮地、茂木と俺。

そのうちにますます始業時間が迫り人並みが動き、「岸山まりえ」の周辺が空いた。

~と「岸山まりえ」が振り向いて、一人B棟の入り口に一歩近づこうと動いた。

岸山の前にいたはずなのに、いつの間にか俺は、後ろ姿を見ている。

伊藤が突然彼女の前に進み出て
「これを読んでください」とメモを渡した。

その瞬間なぜか二人の周りに空間ができて、この出来事には誰も気がつかなかっただろうという一瞬だった。

岸山まりえは、突然のことで驚いたように立ち尽くして伊藤を見上げたが、メモを手提げバックにしまい。
何事もなかったように、その他大勢の学生の波に消えてしまった。

見たところ「岸山まりえ」のそぶりから、結果がどうなるかは見当がつかない。

いずれにせよ、人生の不思議というのを考えるきっかけにはなった。

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まりえ

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2015年5月17日 (日)

小説Syuun の不思議な少年時代 その37 (昭和47年1972)

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片山寮

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授業はいつも通りの5時35分に終了。
急いで教養部の第1食堂で済まして片山寮へ向かった。

静岡大学というのは、来たるべき東海地震の津波対策として日本平の西側の稜線の上にある。
日本平を清水側からぐるりと巻いて、東西に走る高速道路も静岡の旧市街地を守るために作られているのは周知の通り。
その高速道路を遙か眼下に見下ろす位置のあるのが、教養部B棟の第1食堂である。
この教養棟でさえかなりの標高差を持っているところ、その上に図書館、第2食堂があり、理学部、教育学部などの施設がある。
片山寮は、その教育学部の左手谷間にある体育館、テニスコートをはさんだもう一つの山の上である。
体育の授業で山頂の野球場へ行くこともあるが、ぼやぼやしていると教養棟から休み時間にたどり着けないこともある。
片山寮はそれと同じくらいの距離があると言って過言ではない。

http://www.shizuoka.ac.jp/access/map_shizuoka_20150213.pdf

だからこういう学生寮というのは行きにくいし、自治寮ということもあり勝手に入ると文句を言われることもある。

国語科・・・片山寮には「ミス片山寮」と言われた国語科の高田真理子嬢がいたはずだ。
しかし退寮してしまっているので関係ないだろうし、元々小学校教育課程の国語専攻だったか、教心(教育心理)の国語専攻だったかよく分からない。

そんなことを考えながら、とぼとぼと山道を登って行くのはなんとなくわびしい。

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午後6時を回ったくらいでようやく寮について、何やら入って行くと

「ここだ ここだ」という大声の呼び声が聞こえる。

見れば飯島が窓から手招きをしている。

「勝手に入ってくるとうるせえからな!!」

「まあ、俺も今来たところだ」

「そっちの玄関から入って、回って来いよ」

・・・と周囲に聞こえるような声をだす。

何か雑然とした部屋に入ると、日焼けしたがっしりした感じの女子学生が二人。
一見して、国語科ではなくて体育科じゃないのかと思ったりして・・・
それに飯島と見知った顔がちらほら。
こういうことが好きな加藤や浜田も先着。

飯島が
「こちら・・・・」




「国語科の佐藤です。」

「佐伯です。」とてきぱきと応える女子学生。

「こっちは」と指さして

「浜田です。」

「加藤です。」
「望月です。」

「それとあとから来た」

「荒木です。」

「それでは模擬店では何を出すかですね」と飯島
「あ! 一応司会させていただきます。」
「何か案は??」

「・・・・・・・・・・」沈黙

「一応考えてみたのですけれど・・・」と佐藤嬢

何だ初めから決まっているじゃないか・・・というかベテランがいて助かったという感じ。

「まずは焼きそば」

「それと・・・・『おでん』を考えています。」

「少し時季外れかもしれませんが、他の模擬店と同じものだと困るので・・・」

「それと、焼きそばは夕食代わりなので利益は出ない計算です。」

「模擬店でみんなに働いてもらうわけですから、利益をださないと意味がありません。」


「『おでん』だけだと厳しいので他に何か対案はありませんか??」

 

なんか昔の学級委員長の話みたいだと思っていたのだが

「・・・・・・・・・・」沈黙

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「それで『焼き芋』なんかはどうでしょう」

「季節外れついでで、他の模擬店ではどこも出さないと思うので」

「・・・・・・・・・・」沈黙

「内容は任せるよ」と飯島

「それとここにいない子で3人くらい下ごしらえをするのだけど、手伝ってもらいたいんです。」

「寮の方は俺かやるよ」と飯島

「俺は料理が得意だから手伝うよ」

とイケメンの加藤が言うと

佐藤嬢がぎらりとにらんで

「それで よろしく!」

「そのほか料理の運搬をやってもらいたいのですけど・・・」

「自動車部だから車を調達してくるから」と言うと

「それもよろしく!」と佐藤嬢

いつの間にか飯島に代わって佐藤嬢が取り仕切って

「模擬店は6時からだから、お昼頃に寮に集まってくれれば」

「売る価格は、原価計算して決めることにしますから」

「そんなところで・・・・今日は」




と佐藤嬢が言い切ってなんとなく終了。

大して時間は掛からなかったが、寮を出ると夜はとっぷりと暮れていた。


飯島は
「去年は国語科だけでやったんだけど、男手が無くて困ったので今年は手伝ってやることにしたんだ」


・・・と言いながら送り出して、
「ちょっと別に寄るところがあるから」と寮に戻ってしまった。

この片山寮も建てて2年ほどしか経っていないはずなのに、学生運動の時に荒れたからかなり痛んでいる。
帰り道を見ると、人っ子一人いない山道のまばらにある街路灯も何か寂しい。

・・・と見ると浜田がバイクに乗っている。


「あれ!! バイクに乗ってきたのか??」


「あったり前じゃないか、こんな山の上に歩いてこられるか!」・・・・と京都訛り丸出しでいう。


「加藤は、自転車?」

「登ってくるのはきついが、帰りは楽だからね・・・」

と何かうれしそう。

・・・・・・・・・というとあっという間に二人は闇に消えてしまった。

そのあとには誰も続いて出て来ない。

寮生だったのかなとも思ったが、「帰り道を急がないと」と早足で急いだ。

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ここまで述べて、当時の状況を説明しておかないとよく分からない部分が出てくる。

1972年当時の静岡大学とその周辺地域は、2015年とは全く違う様相である。
当時は高度成長時代であって、大学の教授も10年経つと組織が2倍になると言っていたものである。
また、今静岡市と清水市は合併して政令指定都市静岡市だが、当時はそうではなく静岡県立大学も合併前の県立静岡女子大、薬大、女子短大(浜松)に分かれていた。

その一方、静岡大学は一期校、二期校時代の二期校であり関東、関西と分けると関西に分類される大学であった。
関西に分類されるというのは、大半が関西出身者が多くとりわけ愛知県出身者が多い。
正確には、名古屋に近い中部圏である。

そして、一期校、二期校の分類では関西には一期校が多く、そのほとんどが旧制高校、高等師範、高等工業、高等商業であったのに対して、関東(中部以北)では、旧帝大系と少しの旧制高校が一期校となっていた。
従い、学制としては関東(中部以北)に分類された静岡大学は、旧制静岡高校、浜松高等工業を母体としているものの関西系分類では妙な二期校であった。

こういうふうに関西ではほとんどが一期校の分類の中で、関西圏に入る静岡大学というのは京阪、名古屋地域の旧帝大系の大学の滑り止めという関係にあった。

また、工学部、理学部、人文学部(現・人文社会科学部)、教育学部、農学部も組織変更されて今現在はそのままの組織として残っていないし情報学部は存在もしていない。
この中で大きく違ったのが工学部と教育学部であり、特に教育学部は別物という印象が強い。
当時の静岡大学教育学部は、静岡、浜松、沼津の師範学校を統合した関係から定員約650人の大所帯であった。

教育学部を卒業すれば教員になれた時代で、学年トップクラスの女子学生が教育学部を目指すことがまだ多かった。

今では医学部を目指すのが普通だが、戦後のベビーブーマー世代であった当時では入学定員が少なかったこともあり、余程優秀でも現役で医学部に合格するということは稀だった。

従って、ここに登場する教育学部の女子学生というのは、ピンキリとはいうものの今なら医学部へ進学しているような女子学生が多かったという認識がある。

特に数人ずつしかいなかった、理学部、人文学部、農学部の女子学生はとてつもなく優秀だった。

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1972年6 月1日開学祭・模擬店。サッカー場
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